「ドニゼッティ《パリ伯爵ウーゴ》 ベルガモ公演」 吉田光司
― 作品解説・公演評 ―
2003年10月3日と5日に、ドニゼッティの珍しいオペラ《パリ伯爵ウーゴ》の上演が、ドニゼッティの生地ベルガモで行なわれました。ベルガモのドニゼッティ劇場の開幕公演であるこの公演は、1832年の初演以来、イタリアでもほとんど上演されていない作品の蘇演ということで、大きな話題となりました。
ミラノから北東に向い鉄道でおよそ1時間、ベルガモはちょうど秋が深まりつつある季節でした。駅前から伸びる道の街路樹は何かの栗の種類で、その実が地面に落ち、やわらかめのイガから栗の実がこぼれ、歩道に秋の風情を添えていました。
駅と街の中心部が離れていることはイタリアではよくあることですが、ベルガモの場合、その距離はかなりのもの。旧市街チッタ・アルタは遠く離れた小山の上に聳え立つように見えます。夕暮れの薄明かりのなか、ぼんやりと見えるその街こそ、ようやく訪れたドニゼッティの故郷かと思うと、深い感慨が湧いてきました。
【作品解説】
今回上演された《パリ伯爵ウーゴ》は1832年3月12日、ミラノのスカラ座で初演されました。この作品は、いろいろな意味でドニゼッティには意義のある作品でした。第一に、1830年12月の《アンナ・ボレーナ》以来ミラノで待望されていたドニゼッティの新作であったこと、第二に今度は(ドニゼッティにとって)因縁のスカラ座での上演であったこと。そして第三に、これが非常に重要なのですが、同じ劇場の同じシーズンで前後して、ベッリーニと新作を出し合う状況だったこと、しかもプリマドンナのジュディッタ・パスタやテノールのドメニコ・ドンツェッリなど、ほとんど全く同じキャストでの競作となったことです。
先に結果を申しますと、残念ながら《ウーゴ》は当たりを取ることはできませんでした。のみならず、その後の再演もなく、1977年に英国で蘇演されるまで長い眠りについてしまうことになります。ロマーニが検閲に注意を払い、台本が何とも歯切れの悪いものになってしまったことも一因ですが、どうもそれ以上に、先に上演されたベッリーニの新作がご存知《ノルマ》で、大変な大当たりを取ってしまい、連日の上演で、歌手たち、とくにプリマドンナのジュディッタ・パスタが疲れてしまったこと、また観客も《ノルマ》の熱狂の後で《ウーゴ》にはあまり関心を示さなかったこと、といった状況が、《ウーゴ》が成功とならなかった背景にあるようです。
しかし偏見なく見れば、《ウーゴ》はやはり1830年代のドニゼッティならではの活気と魅力を持った作品です。《ノルマ》のような、ベッリーニの大傑作と比べれば遜色があるのは事実にしても、19世紀前半のイタリアオペラを理解し得る人が聞いたら、プリマドンナオペラとしては十分良く出来た、力の入った作品だということは容易に理解できると思います。ドニゼッティは直後の《サンチャ・ディ・カスティーリャ》などいくつかの作品に《ウーゴ》の音楽を転用しています。
ドニゼッティがこの失敗にめげず、突如振られたオペラブッファの新作の要請に応えて急遽作曲した作品が、未曾有の大当たりになった−《愛の妙薬》−ことは、オペラ史の中でも有名な話でしょう。
物語を簡単に紹介しておきます。
パリ伯爵ウーゴ(史実のユーグ=カペー 941〜996 後にカペー朝第1代のフランス王となります。 在位987〜996)が凱旋、年若い国王ルイージ5世(西フランク王ルイ5世)が歓迎します。一方アキタニアの公女(史実のアキテーヌ公ギョーム3世の娘)ビアンカはルイージと婚約していますがそれを望んでおらず、妹アデーリアに本当はウーゴを愛していると告白します。しかしウーゴはアデーリアと密かに相思相愛だったのです。ルイージが現れ彼女を説得しますが、拒絶されます。ウーゴと密会して嘆くアデーリア。一方ビアンカはアデーリアにルイージから外出禁止を命じられたと嘆きます。そこにルイージが現れ、彼女の不可解な行動に疑いの眼差しを向けます。王はウーゴを呼び出すと、ビアンカとの仲を公然と罵ります。しかもビアンカまで彼を愛していることを認めます。しかしウーゴは、自分は別の女性を愛していると反論しますが、その名前を言わないので王は彼を捕らえます。
牢獄のウーゴのもとにビアンカがアキタニアに逃げようと現れますが、ウーゴは拒みます。さらにアデーリアが現れ、その様子からビアンカは二人の仲を理解します。突然戦いの音が聞こえウーゴは兵士達と戦場ヘ向かいます。嘆くルイージをエンマが慰めていると、勝利したウーゴが現れ、アデーリアとの仲を打ち明け、ルイージも二人を認めます。ビアンカは復讐を誓うものの、エンマと会話するうちに心が和らぎます。しかし結婚式の合唱が聞こえると再び怒りが込み上げ、騒ぎを聞きつけた一同の前でビアンカは毒を呷り自害します。
【公演評】
2回見た公演のどちらにおいても、最も存在感を発揮していたのが中島康晴のウーゴだったことは衆目の一致するところでしょう。アリアもなく(この役でアリアがないのは明らかに不自然で、あるいはポリオーネ役で疲れ果てたドンツェッリの要請で外されたのかもしれません)、音域も低く、全体に突き抜けた印象を与えることのないこの役で好印象を与えるのはむしろ難しいはずなのです。若く気迫の漲る投手の速球のように、勢いのある中音域での男性的な弾力、磨かれた技術力の高さを覗かせる、輝く高音。そうして作られたウーゴは、改めてこの作品では全ての出来事にウーゴが絡む、正しくタイトルロールであることを実感できるものでした。イタリア語も日本人離れしたもの。唯一惜しいことに、彼がさらに高い音域で豊かな光沢を得ようとすると、楽譜が下がってしまうのです。聞く方も、そして歌う方も欲求不満が残らざるを得なかったのです。
ヒロイン、ビアンカを歌ったドイナ・ディミトリュは、ほとんど出ずっぱりの役を良くこなし歌い切ってはいたのですが、どうやらコンディションが悪かったらしく、至るところで声がかすれたり、高音で音が割れたりして、正直なところ二日とも最後まで歌いとおせるのか不安なまま聞きつづけることになりました。素材は良さそうですし、ラストシーンでの演技など、前向きな表現意欲は良いのですが、この状態ではプリマドンナとして賞賛するわけにはいきませんでした。
むしろ、アデーリア役のカルメン・ジャンナッタージョの方が、全体に穏便で派手さがない歌と演技、しっとりとした情感を崩さない丁寧な歌い口で好感が持てました。もっともこの役はそれほど高い音域が使われていませんので、プリマドンナと比較するわけにはいかないでしょうが。
大きな問題はルイージ役のメゾ、シム・トキュレク。非常に押しの強い迫力のある声はヴェルディの中期以降なら力を発揮できそうでも、ドニゼッティではうるささの方が先に立ってしまっています。加えてなんとも酷いイタリア語の発音。この発音で聞かされるのは忍耐が必要。彼女は本来裏キャストだったのが表に回ってきたそうです。どんな事情があれ、問題のある選択としかいいようがありません。
フォルコ役のデジャン・ヴァチュコフは、恵まれた体躯を生かした朗々たる声。出番をかなり削られていたのが残念です。
エンマ役のミリヤーナ・ニコリクは余り印象に残りませんでした。
指揮者は見るところ随分若そうでした。威勢良い指揮姿のアントニーノ・フォリアーニ、実際に鳴るオーケストラは響きのざらつきがかなり目立っており、統率の面でまだまだ課題が残されています。また、ざっと聴いただけでもそうとうにカットが多く入れられていたのは残念です。
舞台は、まずスカラ座での《ウーゴ》の初演に用いられたアレッサンドロ・サンキリコの図版(これはドニゼッティ博物館に展示されていました)を背景に生かしていたのがドニゼッティアンにはたまらないものでした(装置はアンジェロ・サーラ)。グイード・デ・モンティチェッリの演出そのものはいたって簡素で、四人の主役の心理的な絡み合いを程よく整理した、という以上の感心はありませんでした。最後の場面、ビアンカが服毒した後、ウーゴはアデーリアに目もくれずビアンカを抱きしめるのですが、そこまでの二人の心理状態の過程、葛藤などの伏線をポイント付けないと、場面を生かすことができないでしょう。
おそらく女声に一線で活躍する優秀な歌手を集めれば、《ウーゴ》はさらに醍醐味を得ることでしょう。しかし、中島を除いては問題の多いこの公演ですら、第1幕の後半のフィナーレに向う集中力、第2幕の三重唱の緊迫感、そして何より、この時代に他の誰もやろうとはしなかった“ヒロインの凄惨な自害”である最後の場面の異様な熱気、こういったドニゼッティの「次の時代へと向う興奮」は十分伝わってきたと思います。
【余録】
日本でもこの公演及びそれに続くミラノのアルチンボルディ劇場での公演評がいくつか見られました。作品に関して二つの対照的な意見が見られましたので、引用して紹介してみます。
『さて公演だが、出演者にとっては難しい作品だったと想像される。作品自体にそれほど魅力がないからだ。ドニゼッティの傑作に数えられていないのはそれなりの理由がある。あまりに型通りというか、慣れた手法で書き上げたという感じで、光るものがないのである。[中略]
[公演の問題点について]もっとも、これらの本当の原因は作品自体の平凡さに帰すべきかもしれない。作品と音楽にそれほど魅力がなければ、演出家や歌手がいかに頑張っても結局は大したものができ上がらない。』
(音楽の友 12月号 161-162p 野田和哉氏による10月3日の公演の評)
『アンサンブルが多い歌の部分も、オーケストラも非常に高度の技術を持って書かれており、この実力に到達したドニゼッティが肩の力を抜いた時に《愛の妙薬》のような傑作が生まれたのだ、と実感できる興味深い上演であった。』
(レコード芸術 12月号 318p 井内美香氏による10月22日 セカンド・キャスト公演の評)
どちらがより作品およびドニゼッティに対して鋭い観点で考察をしているのか、言うまでもないでしょう。
― インタビュー@ベルガモ ―
公演の合間の10月4日に中島さんにお会いし、比較的穏やかな陽気の日で、旧市街のカフェでお話を伺いました。
―中島さんを知っている人の中で、おそらく私が一番中島さんのことを良く知らないと思うので、まずは基本的なことをうかがわせて下さい。
「どうぞどうぞ。」
―ミラノで過ごすようになってどれくらい経ちましたか
「2001年の3月にミラノに入って、2年半になります。」
―CDが評判になって、スカラ座に出演したというニュースも広まり、日本での知名度は大きく上がったのに、日本で聴ける機会がなく、まるで幻の歌手のようになっています。
「幻というと聞こえはいいですね。出演依頼はたくさんあるのですが、これまでは研修所があるので断わらざるをえませんでした。2004年には正月のNHKニューイヤーオペラに出演する予定です。」
―今回の《ウーゴ》の出演が決まったのはいつごろですか?
「だいぶ前です。去年か、今年の1月くらいだったと思います」
―《ウーゴ》は非常にマイナーな作品ですが、情報の少ない中どのように作品に取組んだのでしょう。
「歌詞を読んで、歴史を調べました。またイタリア語の先生が《ウーゴ》のリブレットの解釈をしてくれたり、個人的に先生の家にうかがって勉強したりしました。」
―ウーゴはタイトルロールです。役としてはどのように感じられましたか。
「声楽的には、低い音域に偏重していて高い音が少ない役なので、音域的には私にはまったくあっていません。また音の高低の跳躍が大きく、難しいです。決めどころが来ると低い音に行ってしまうので…。」
―練習が始まったのはいつ頃でしょう。
「9月1日からです。オーケストラとあわせたのが9月22日くらいから。毎日ミラノからベルガモにバスで通っていました(片道一時間)。家と練習所の往復が大変でした。」
―さて、今までの活動、とりわけスカラ座での出演についていろいろ伺わせてください。
昨年の秋の公演《オベルト》では大活躍でした。
「《オベルト》では三人のテノールがいましたが、指揮者のルイゾッティに気に入られたので、ジェノヴァと併せて11公演中7公演で歌うことになりました。」
―その後、スカラ座で《バラの騎士》に出演されました。
「《バラの騎士》は5月にオーディションがあり、そこで既にジェフリー・テイトが気に入ってくれたらしいのです。ふつう研修生には簡単には役はくれないのですが、はじめから7回公演のうち、動物使いが5回、テノール歌手が2回という契約になりました。動物使いは完全に脇役なのでちょっと複雑だったのですが、そこに《ボエーム》のロドルフォのアンダーの話が舞い込んだので動物使いが外され、テノール歌手のみの出演とロドルフォのアンダーが決まったのです。ロドルフォ役で実際に舞台に出るという話は、本当に直前になってからのことです。」
―《バラの騎士》は正味五分ほどの出番でしたが、感想は?
「あのアリアはすごく難しいんです。意地悪なくらい。また音楽が奇妙で。でも難しい方が燃えます。一旦歌い終えて二度目に歌うまでの間に鼻をかんだり、香水をつけたり、お金を上げたりと細かい演技をして評判がよかったです。」
―《ボエーム》はアンダーとして話がきたということですが、いったいいつから実際に舞台に立つことに変わったのですか
「プリモキャストがアルバレスで、セカンド・キャストがトドロヴィッチでした。そしてずっと私一人でアンダーを務めていました。セカンド・キャストがいるので、私に出番が回ってくることはないと思っていました。公演の2週間前にアルバレスが到着、その三日後にトドロヴィッチが現れました。ところがある日突然、“今日はお前が歌えと”と言われました。トドロヴィッチは?と尋ねると、国に帰ったと。」
―そこで本公演の出演を依頼されたのですか?
「いえ、それは翌日の舞台稽古の時でした。多分公演の一週間前くらいだったと思います。」
―日本から見に行きたいけれど中島さんがいつ歌うのか分からず、旅程を組むのが大変だったという人もいたようです。
「私もいつ歌うのか分からなかったのです。」
―ゼッフィレッリによる《ボエーム》は、彼の代表的な演出ですね。
「ジャンニ・ライモンディとルチアーノ・パヴァロッティが座った椅子に腰掛けながら、ここにミレッラ・フレーニがいたんだな、と思うと感慨深かったです。」
―きっと将来、この椅子に中島さんが座ったんだなと言われるようになるでしょう!
「そうなるといいですね!」
―その次にヴェルディの《二人のフォスカリ》ですね。
「公演まで一ヶ月足らずとなった4月のある朝、突然ムーティの車の中からスカラ座の舞台監督が電話をかけてきて、《二人のフォスカリ》を勉強するように、というのです。それは火曜日の朝だったのですが、土曜日には第1幕のアリアと第2幕のアリアをマエストロ・ムーティの前で歌うように言われました。翌日私が《二人のフォスカリ》の譜読みをはじめるつもりで稽古場に行ったら、『おおヤス!それじゃあそこに立ってくれ』、と舞台に上がるように言うのです。まだ楽譜も見ていないのに!」
―そんな経緯で本公演にも立つことになったとは! 役の第一印象はどうでしたか?
「重く歌ったらつぶれるな、と思いました。2幕の冒頭のアリアとラストのコンチェルタートは大変だけれど、なんとかなりそうに思いました。実際、ムーティのテンポには充分ついていくことができました。」
―ムーティは中島さんをどう思われたのでしょう。
「全く問題ありませんでした。ムーティはスピントな声でもいい加減に歌う人は好まないのです。彼の指揮にすぐ反応する能力が必要なのです。」
―出演した2公演のうち1回はヌッチとの共演でしたね。
「とても紳士的な方でした。一度二人の絡む部分でヌッチに動きの相談をしたのですが、“細かい演出なんかどうでもいいんだ、うまく歌えばいいんだ。お前はうまく歌えるんだから何も心配しなくていいんだ”と言ってくれました。」
―ムーティとヌッチと共演したということで、日本では大変な騒ぎでした。スカラ座でヴェルディで、しかもタイトルロールですから、日本人としては誉れ高いものです。
「客層もこの日は随分違っていて、オペラをよく知っている観客が多かった気がします。」
―最後になりますが、今後の予定を
「まずスカラ座のオープニングで《モイーズとファラオン》。フランス語で歌います。その後、お正月にも日本でニューイヤーオペラがあって、その後がヴェネツィアでの《真珠採り》。あのアリアは最高に難しいです。イタリアでは日本と違って出演依頼は直前になることも多いので、他にもあるでしょう。」
―今日はどうもありがとうございました。
なお、今回のベルガモでの《ウーゴ》の公演は、イタリアの
Dynamic社によってライブ収録され、来年2004年にCDとして発売される予定です。(2003.10.4)
日本人テノールNakajimaへのインタビュー 「テアトロ・レッジョで歌うのは夢でした」
中島康晴は、スカラ座アカデミー―ここでレイラ・ゲンチェルが教えている―に入学を許可された初めての日本人歌手であった。悪魔との取引の末に地獄に堕ちるファウストという難しい役で、われわれは今夜、「日出ずる国」から来て、今日と明日、ベルリオーズの《ファウストの劫罰》を上演するパルマのテアトロ・レッジョに抜擢されるに至るまでにスカラ座アカデミーで頭角をあらわした前途有望なテノール、Yasu Nakajimaを聴くことになる。彼と共演するのはミケーレ・ペルトゥージ(メフィストフェレス)、アディーナ・ニテスク(マルゲリーテ)、リッカルド・ザネッラート(ブランダル)、ジョルジュ・ペーリヴァニアン指揮のテアトロ・レッジョ管弦楽団・合唱団、合唱指揮マルティノ・ファッジャーニ、そしてシルヴィア・ロッシに率いられたアルス・カント少年合唱団である。
中島がわれらの劇場の舞台を踏むのは、ある時期パルマに住んでいたけれども今回が初めてである。「テアトロ・レッジョには何度かオペラを見に来ました」と中島は微笑みながら語る。「でもその頃は、このパルマのような伝説的な劇場で歌えることになるとは想像できませんでした」。実際、中島は今ではすでにミラノのスカラ座(テアトロ・アルチンボルディ)やヴェネツィアのフェニーチェ座(現在はテアトロ・マリブラン)などの一流の舞台の常連である。彼はジェフリー・テイトの求めにより、リヒャルト・シュトラウスの《ばらの騎士》のイタリア人テノール歌手役を歌って実際にミラノでデビュー、その後《オベルト、サン・ボニファッチョの伯爵》[※注]、そしてリッカルド・ムーティ指揮の《二人のフォスカリ》に出演した。最近ではテアトロ・マリブランで《真珠採り》を歌っている。
しかし、パルマのテアトロ・レッジョへの門が開かれたのは、最近のスカラ座の《ラ・ボエーム》でバルトレッティが彼を指揮した時であった。「はい、私を《ファウストの劫罰》に呼んでくれたのはブルーノ・バルトレッティでした」と中島は言う。「確かにこの役はとても難しく複雑で、自分の人生に対する問いかけからくる精神的苦痛を伴ったファウストの老境を演じるということは、解釈という点でも全く容易ではありません。とくに私のような若さで、それでもこの役をもらえたのはとても喜ばしいことでした。」
「指揮者のペーリヴァニアンとの練習は順調です」と彼はつけ加えた。「彼の解釈は正確で、テキストを大切にした大変厳密なものです。私のパートに関しては、音域が非常に広いというべきでしょう。高いCisからとても低い声域にまで及ぶのです。しかし、ベルリオーズには超絶技巧は要求されません。それよりは、むしろ雰囲気、音色を探求しつづけること、そして心に訴えかけるものを強く喚起することが必要なのです。」
(ガゼッタ・ディ・パルマ紙、2004/5/21)
※訳者注:この出演に関する記述は原文のままであるが、事実とは違っている。実際の出演順は《オベルト》、《ばらの騎士》、《ラ・ボエーム》、《二人のフォスカリ》である。 >HISTORY